俺は息子のまるが大好きである。
小学4年生なのにいつも大好き、大好きと言っていい子いい子しながら抱きしめてチュッてしてる。
”まるちゃんが、大人になってもパパが大切にしてたこと覚えてるよね?”
”忘れるよ。パパが俺のこといじめたってことは覚える”
”もういい、もう可愛がるのやめた”
”ぱぱぁ、嘘だって。んっ”
と言いながら両手を広げながら抱きしめてこいっ、バッチこいっの構えをする息子。
当然ギュッとする俺。
これもいつもの風景。
あと何年もしたらもうギュッも出来ないし、一緒に遊んだりもしなくなるし、
話もしなくなるかも知れない。
それが自立であり、親離れであり、子離れでもある。
そんな話をまるにするといつも涙目になり
”ぱぱぁ、俺は違うよ”
と言ってくる。
だめだ、これを書きながら俺も泣きそう。
チュッは出来ないが、ギュッを大人になっても出来るようにハグの文化の当たり前さを息子に説いている。
”俺があと何年かしておじいちゃんになったら手足が動かなくなると思うよ”
”ぱぱぁ、なんでそんな悲しいこと言うの?”
”いや、それが人間だから”
”なんかやだぁ”
と言いながらまたギュっ。
よし、オッケー。
こっちサイド、こっちサイド。
マイボーだよ。
そろそろいつものアレを出すか。
”動けなくなったら、トイレの大とかお願いね”
”・・・それだけは絶対やだ”
”おまっ、なんだよ、いいじゃねえか。”
”長い棒の先にティッシュつけて拭いてあげる”
”お前、それじゃぁゴシゴシ出来ねぇじゃねえか。
ゴシゴシのゴも言い終わらないうちに落下するぞ。それ誰が拾うの?”
”はははは・・・”
こんな感じで試合終了。
俺のお尻拭いてよ作戦遂行のためにやるべきことはやってきた。
絶対に勝たなきゃいけない試合でまた負けてしまった。
この戦いは5回くらい繰り返している。
次回はいつにしようか。
一度非承認になったから次は2週間ほど待った方がいいとネットの収益化ブログにのってた。
息子の中の人、次は頼むぜ。
ギュッとすっから。